実録警察密着24時
中学3年生の1月初め頃、当時受験生だったワタシはその日あった模試を終え帰宅し10時頃までテレビを見ていた。2階から言い争う声が聞こえてきた。「またやってるよ」と呆れていた。どうせいつもの事だ、そのうちほっとけば収まるだろうと思い適当にご飯を食べていた。すると2階から掃除機が物凄い音を立てて落ちてきた。母親の悲鳴も一緒に。
助けて殺されると半狂乱になって泣き叫ぶ親を見て正常な精神でいられると思うか。
そうこうしているうちに母親が2階から逃げてきた。それを追うように父親もなにやらよくわからん暴言を吐きながら1階のリビングへ降りてきた。そこで繰り広げられる殴る蹴るのDV…… ついに母親は家の窓を開け近所に響き渡る声で『助けて!!!!!』と言い始めた。これには流石に父親も怯んたのか、『恥ずかしいことをするな』と言った。いや、もうお前ら2人恥ずかしいよ。とりあえず死んでくれ。
ワタシは聡明で賢明な判断を下した。
警察呼ぼ。助けてピーポ君。
人生初、110番である。手は震えていた。
「あ、もしもし警察ですか、いまちょっと父が母を蹴ってですね、取り敢えず来てもらえます?」
『事件ですか、事故ですか?』
「あ、事件ですはい」
『なにか武器になるものは持っていますか?』
「あ、特に何も……」
『では住所を教えてください』
「はい、○○県……」
『いまから警察が向かいます、待っていてください』
「なるべく急いでよろしくお願いします」
いやこれ100点満点の回答だよね。ピザ頼んでんの?といった具合の落ち着きである。
5分後くらいに警察が家に来た。強面で眼鏡をかけた、偉いんだろうな〜と言う感じのおじさんとその他警察数名、リビング集合。一生に一度あるかないかレベルの場面である。そうして父親はパトカーに乗せられ警察署へ、ワタシは母親と一緒にパトカーにのって警察署へいった。パトカーっていがいとタクシーみたいなもんだったよ。
そのときワタシは母が父を訴えるだろうと思っていたし、そうして欲しかった。まず第1に離婚して欲しかった。しかし現実は上手くいかない。なにを考えたかしらんが母親は世間体を気にして訴えない、離婚もしないと言い始めた。おいおいおい勘弁してくれよ。そう思いながら調書を書くためワタシは警察のお姉さんと11時から3時までじっくり話すハメになったのである。
それからいろいろあって、ワタシは家に帰ることに、母はホテルで一夜を明かすことにした。何故か父親は家にいた。お前なんで我が物顔帰ってきてるんだよ。元はと言えばお前が悪いんだろ、恥をしれ。死んどけよ。5億回は思った。
今ではなんとか家族の形を取り戻そうと父親も改心している。母親もそれに応えるようになった。
ワタシだけは父親も母親も許せなかった。何故あんなことをしておいて平気でいられるんだ?厚かましいにも程があるだろう。死んで詫びろ、お前保険払ってたかどうか知らねぇけど。母親には「いつまで過去のことを気にしているんだ」と言われた。え、逆にこれ気にしないでどうなるの?と言った感じである。ようするにワタシは彼らにとって「過去を忘れられない面倒くさい被害者ヅラした子供」であるらしい。う〜ん、人格全否定すか。
みんな、ワタシの経験を生かして幸せになってくれ。結婚は人生の墓場だぞ。これもお姉さんとの約束だ。
次回、「アダルトチルドレンとその気づき」
おたのしみに。
腐った食べ物と家に帰ってこない父親は早く捨てろ
なんとまぁ的を得た題名だろうか。
要らないものは早く捨てろという事だ。腐った食べ物なんぞさっさと捨てないでどうする。腐敗臭が立ち込め虫は寄ってくる、害でしかない、そう、帰ってこない父親もそれ同等である。もし家にそんな奴いたらとっとと捨てちまえよな、これもおねぇさんとの約束だ。必ず守れ。じゃねぇとお前将来棒にふるぞ。
昔から両親の仲が悪かった。本当に些細なきっかけで喧嘩をしていた。実にくだらない理由から「そんなことある?これドラマ?」と疑うほどの大きな理由まで様々であったが夫婦喧嘩と言うものがワタシ人生における大きなトラウマを作った事に変わりない。
父親は怒ると何をするか分からない暴力的な男だった。例え自分が悪くても都合が悪くなれば暴力と鹿児島訛りの暴言で母親を捩じ伏せた。母親の悲鳴で深夜に起きることはよくあったし、喧嘩を止めるのがワタシの大きな役割であった。これはずっと小さな頃からやっていた。なんとまぁ可哀想な子供だろう。いっそ誰かに殺して欲しかった。タイムスリップできるなら胎児のワタシ、そう、自我も恐怖も何も知らない人の形すらしていないワタシを現在のワタシの親指と人差し指の腹で掬い取り、そしてすり潰すように胎児を殺すだろう。これが最高の最適解である。
中学1年の終わり頃から両親の不仲は加速していき中学2年の夏頃には父親は家に帰らなくなっていった。まぁべつにどうでもよかった。てか「このまま帰ってこないでくれ」と思っていた。下手に帰ってこられてまた喧嘩されると困るし。そんなことを呑気に考えていたワタシだったが現実は恐ろしい程に目も当てられないような惨状となっていっていることに気づいていなかった。
次回、「実録警察密着24時」
お楽しみに!
中学1年生、担任坂上忍
時は流れ中学校に入学したワタシを待っていたのは「監獄」であった。
小学校と中学校のあの差何?急に個性という個性を消される。相澤消太いるんかい。(ネタわからない人ごめんね)
先生が白と言えば例え黒いものでも白であり、先生の教えは絶対的なものであり、何より「はみ出しもの」を排除していたがった。「はみ出しもの」がワタシであるのだが。
中学1年生、5組になった。担任の先生誰だろう〜?!不安と不安と不安と焦りと少しの期待の中現れたの少々太めで色の黒い英語の先生だった。
さ、坂上忍?
クラスの子も「担任の先生、坂上忍に似てるよね……」と言っていた。あ、よかった。ワタシだけじゃなかった。
ところがどっこい、その坂上忍、これまたクセのある人物であったのだ。
「theは『ざ』じゃねぇ『だ』と読め!!!」
が口癖だった。相当変わり者であったと思うがどうだろうか。
そうこうしているうちにまたしても担任に嫌われた。てか煙たがられたような気がする。今度は理由不明だが多分マセガキだったからであろう。
今となってはまぁまぁ仲も回復し良好では……無い、し、音信不通だけども少しは尊敬している。がしかし当時は嫌いで嫌いで仕方なかった。やることなすこといちゃもんつけてくる。うるせぇ。しかも英語担当だったので英語の時間よく当てられて答えられないと小馬鹿にされた。うるせぇ。
そんなこんなで割かし平和な1年を過ごした。人生で楽しかったと思える年を挙げろと言われたら中学1年か高校1年と言うだろう。そのくらい平和だった。
坂上忍元気かな……
次回、「腐った食べ物と家に帰ってこない父親は早く捨てろ」
おたのしみに。
給食時間、嫌いな女アンケート堂々1位獲得
1つ前の記事で言ったように、ワタシは「イナズマイレブン」が好きだった。ワタシ達の年代ならほぼほぼ知られているであろう有名な超次元サッカーのアツいアニメだ。そしてもうひとつ大好きなマンガがあった。「NARUTO」だ。こちらも世界的に有名な忍者マンガだ。しかしどちらも所謂『男子向け』であった。当時小5にしてクソオタクだったワタシはクラスの男子と死ぬほど語り合った。そう、クラスにNARUTOとイナズマイレブンを知っている女子がいなかったからである。
もちろん「ちゃお」も読んでいたので多少の少女漫画話に加わることも可能だったがクラスの女子にちゃお派はあまりいなかった。みんな「りぼん」か「なかよし」の話をしていた。当然話題についていけなかった。またも孤立である。
そうして男子とマンガの話ばかりして気づいた時にはびっくりするほどハブられていた。人の嫌がるポイントを踏み抜く女、流石としかいいようがない。しかしワタシはあ、すんません。くらいにしか思っていなかった。 そりゃ男子とばっか喋っている奴なんて「死ねこの男好き」と思われていたのだろう。小学5年生でも男とばっかつるむ奴は嫌われるのである。子供が出来たら教えてやれよな、お姉さんとの約束だぞ。
事件はある日の給食準備時間に起こる。クラスのメガネをかけたチビの女の子から「ねぇ!クラスの女の子にあなたのこと嫌い?って聞いてみたけど、みんな嫌いって言ってたよ!」と言われたのである。
それ今なら立派ないじめやぞ、テメェ殺したろか。
しかし今より純粋な心を持ち合わせていたワタシは「嫌われるようなことしてないし、ウソでしょ」と思いながら比較的ワタシと仲良くしてくれていたMちゃんに「ねぇいつあんなアンケート取ったの?嫌いってほんと?」と聞いた。Mちゃんはそれまで笑っていたが急にバツの悪い顔をしながら「だって……あんな聞かれ方したら嫌いって答えちゃうよ……」と言った。
いや、お前答えたのかよ。
ワタシとMちゃんの間に流れる空気の重さと言ったらもうインド象が五頭いても足りないくらいであった。そしてそれを遠くから見ていたチビメガネはほくそ笑んでいた。一生の失態、不覚なり…
そうしてまたワタシの人間不信は加速していったのだった。
文字にして読んでみると小学5年生にしては厳しい人生の道のりであると気づく。そもそもワタシの人生障壁が多すぎる。その障壁はまた今度書くとする。
因みにイナズマイレブンの推しは吹雪士郎君、NARUTOの推しはうちはイタチとサソリだ。分かる人いたら語り合おう。
次回、「中学1年生、担任坂上忍」
おたのしみに☆彡
小学校、ほぼほぼゲロくそぼっち
ワタシにとって小学校は未知の世界であった。そして「学校」という空間が嫌いになった第1の原因でもあった。
小学1年生、2年生は普通の陰キャだった。家が近く保育園も一緒だったゆなちゃんという子と共に学校へ行き、クラスも一緒だったので休み時間は2人して教室の隅で絵を描いていた。本も読んだりしていた。絵に描いたような陰キャである。
小学3年生、齢9歳にして人生の最初の壁にブチ当たる。
担任に好かれなかったのだ。
そしてクラス替えも手伝い本物のぼっちと成り果てた。
よく考えて欲しい。担任に嫌われるのが中学生高校生ならまだしも小学生だ。小学生といえば「担任が全て」である。教科ごとに先生が変わるわけでもないし。高校生なら担任の教科やクラスの文系・理系によって一日中担任に会わない日もある。くどいようであるがもう一度言う。小学校の担任だ。朝の「おはようございます」から帰りの「さようなら」まで一緒にいなければならない。そんな人に嫌われたらどうする。そう、死あるのみだ。
なぜ嫌われていたのだろう。よく考えてみれば大人は「子供らしい子供」が好きだろう。毎日元気に登校し、眩しい笑顔で「おはようございます」と言い、遊ぶときは精一杯遊ぶ。給食も好き嫌いなくモリモリ食べて、先生の言うことを「絶対」と見なし疑いもせず日々を過ごす。そんな子供が好きだったのだろう。そうですよね、谷口先生………
何を隠そうワタシは「子供にしてはまぁまぁ物分かりのいい子供」であった。要するにマセガキだ。それが気に食わなかったのだろう、というのがわたしの見立てだ。 てかそう思わなきゃやってらんねぇよ。馬鹿野郎。
そうして何故か嫌われたワタシは過酷な1年間を過ごして行くこととなる。
担任の先生は「忘れ物した生徒絶対許さない主義」「給食は残すな、三角食べをしろ主義」「字を綺麗に書け、たとえ合っていても汚ければ×するからな主義」…とまぁみごとに「面倒臭い大人」であった。そしてワタシはその先生の「主義」にことごとく捕まりまくった。
ある日リコーダーを忘れたワタシは朝の音楽タイム、よくある「あさのうた」の時間に怯えながら先生にリコーダーを忘れたという報告をし、震えながら許しを請うた。なんとまぁ哀れな9才だろう。
「リコーダー無いんなら、指だけ真似してあとはドレミで歌って」
無慈悲とはこのことではないか。
そうしてワタシはあさのうたでみんなが弾く「エーデルワイス」に小さい声で「…ミーソレー、ドーソファー…ミーミミファソラー…ソー…」と地獄の様なセッションせざるを得なくなった。蛙の子は蛙というがマヌケな大人の言うことを聞く子供も相当マヌケである。
その日の午後は音楽があった。当然リコーダーを使う授業だ。ワタシは「朝忘れたって言ったし、別にいいよね」とそのまま音楽の授業を受け始めた。すると担任は思いもよらぬことを言い始めた。
「貴方、忘れ物したって言ったっけ?先生聞いてないけど(笑)」
は?
いや言ったし。朝いうたやん、忘れ物したって。お前頭悪いんか。大概にしとけよ。そう思ったワタシは友達が「お前ちゃんと忘れ物いいにいけよ!」と優しく諭してくれるなかその忠告をガン無視し担任とタイマンを張るように音楽の授業中バチバチに反抗しまくった。いやな生徒である。
当然家に電話がかかってくるのは想定済みだったので電話のコードを抜いておいた。
こうして反抗していくワタシに同級生達は「こいつイかれてやがる」と思ったのだろう、友達と呼べる人間が少なくなっていきクラス内で孤立した。面白すぎるわ。
担任の主義の中に「三角食べ」というものがあった。
ワタシは三角食べが大嫌いである。口の中でものが混ざるのがいやで仕方がない。17になった今でもお寿司をシャリとネタ分けて食べる。日本人失格、永久追放である。
そんなことを知ってか知らずか、担任は三角食べ至上主義だ。当然対立する。クラスメイトも「またやってるよ」とおもったであろう。
給食中ずっと隣に立たれた。「箸の持ち方が汚い」「おかずとご飯を一緒に食べないからご飯が余る」
うるせぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そう示す様に目の前で味噌汁の中にご飯を突っ込んで混ぜた。ねこまんま、担任が最も嫌っていた食べ方だ。
ぐっちゃぐちゃにまぜたねこまんまはまずかったが完食してやった。ざまぁみろ。
担任からもっと嫌われた。
学校が着々と嫌いになっていくワタシであった。それは周りにもばれていた様であり、ある朝校長先生に「おはよう!あっ、その顔は学校が嫌!って顔だね〜⁈!⁈!」と言われた。当時は「なんだこのすげぇババアは」と思っていたがただ単に顔に現れていただけであったのだろう。
それから「イナズマイレブン」というアニメに出会い、吹雪士郎君にガチ恋し、「ボーカロイド」というコンテンツに出会い、しかも「梨元うい」をよく聴いた。お察しである。そうしてどんどん現実から逃げる様に2次元にのめり込んで行ったワタシは学校に行くのを諦めた。
わざわざ自分を追い込む様なことをしたくない。と「ペテン師が笑う頃に」や「死にたがり」を聴いて気づいたのだ。
週1で学校に行くようになった。習い事感覚である。その当時は「保健室登校」という言葉も概念もあまりなかった。そもそもワタシの小学校に不登校児があまりいなかったのである。こればかりは環境を呪うしかない。もしタイムスリップできれば小3のワタシに「保健室っていいよね」と保健室登校をお勧めするだろう。『保健室、ベッド3つ完備。少々広めでエタノールの匂いもまた趣がある。先生も優しく美人である。星5つ。』このようなレビューと共に。
てか担任のことしか言えてない。話が逸れすぎた。ぼっちのこと語ったっけ。
…めんどくさいからまた今度でいい?う〜ん、散々な人生である。
次回、「給食時間、嫌いな女アンケート堂々1位獲得」
おたのしみに。
ラリりながら学校へ行く女
ぶっ飛んだ題名からして地雷臭がハンパないって、ラリりながらガッコいくとか出来ひんやん普通。
ラリるって呂律が回ってないことらしい。あれ、じゃあ今朝のワタシ、もしかしてただの早朝徘徊クソ女?……
そんなことは置いといて、本題の「ラリりながら学校へ行く」ことについて話す。
ワタシにとって「学校」はあまりにも性にあわない、辛い施設、言うなれば刑務所である。スカートが少し短いだけでいびられ、勉強しろと言う割にはハードスケジュールで時間が無く、文武両道を謳う割には偏差値は普通だし部活も強くない、極めつけは生徒に人権がないことだ。人権くらいあるだろうと思ったか?残念本当にないのである。教師の言葉には絶対にYESかハイ、Noという言葉は辞書に載ってないらしい。刑務所少年院の方が人権が守られているであろう。
そんなことや過去の経験もあり学校という空間が大嫌いなワタシにとって「登校」は1番辛い作業である。 気を紛らせるにはどうすればいいか。そう考えた先にあったのが「デパス飲みながら学校いけばいいじゃん」である。なんとまぁバカ丸出しな考えだろう。
薬というものには最大血中濃度がある。要するに「1番効いている時間」だ。デパスは最大血中濃度が3時間、そこから半減期となるので服用してから3時間をピークに効き目が薄くなっていくのである。そして6時間目で完全に効果が無くなる。数学が出来ないワタシにもわかりやすい仕様なのである。神に感謝。
ワタシが学校へ行く時間は7時半頃なので逆算して4時半に飲めば最高の状態で学校へ行けることとなる。典型的な短絡バカの考えである。そうして4時半にアラームをセットしデパスをのみ2度寝、そこから6時45分に起きて顔を洗うなどして家を出ていく7時半にはキマリまくっているのである。
もちろんいつもフラフラしながら学校へ行っており、3階まで上がる階段が地獄でありいつも5人以上には抜かされる。全く邪魔なブスだと思われているだろうなとひしひし感じる。
本日は久々の登校日だったが「学校」という現実に耐えられず、しかも宿題がひとつも終わっていなかった。学校ブッチ決意の瞬間である。
デパスを飲みまくったワタシは正常ではなく何故か「今日は定期の更新だが駅まで行くバス代がないので駅まで歩こう!!!!!」というトチ狂った考えに至った。
早朝徘徊女子高生誕生である。
笑ってくれ。
約30分かけて歩いて駅まで行き、無事定期を更新しやることはのこり1つ、そう、学校ブッチである。要するにサボり、無断欠勤、これが社会人なら抹殺されている。
何を思ったか、改札を抜けホームに上がり「電車を待つ女子高生」を装いベンチに座って携帯をいじる。この時何本も来る電車の中にクラスメイトがいたらどうしよう……と無駄な心配から元々焦点が合ってない目をキョドキョド動かしクラスメイトがいないと分かるといちごみるくを啜った。救いようのないクズである。
何時間か経ったあと「よし帰ろう!!!」とまたホームを降り改札を抜けようとしパスをタッチした瞬間、
『ピンポーーーン!!!!!!』
元々ない頭が真っ白である。そう、知らなかったのだ、電車を使わないと改札を通れないことに……
本当に救いようのないグズ、現代女版太宰治(それは太宰治に失礼)である。人間、失格どころか規定にも基づけないタイプである。
その後またホームに戻り適当な急行に乗りひと駅で降り、改札を抜け間髪入れずまた改札に入って今度は上りでもといた駅に戻り無事事なきを得たのだ。窓口にいた駅員さんはご老人の相手をしていてワタシに気づいていなかったことが不幸中の幸いとだけ言っておこう。
それからバスに乗り帰ったのだが記憶が無い。気づいたら家で爆睡していた。料理を作るという約束もブッチした。
グッチ女ならぬブッチ女、ここに爆誕!
次回「小学校、ほぼほぼゲロくそぼっち」
おたのしみに〜
同情するならデパスくれ
お前はデパスを知っているか。デパス、そうこのブログを書いている他ならぬワタシがほぼ毎日飲んでいる薬である。
デパスが分からない人のためにWikipediaパイセンから引用すると、『エチゾラム(英語: Etizolam)は、チエノトリアゾロジアゼピン系(英語版)に属する抗不安薬[1]、睡眠導入剤であり、ベンゾジアゼピン系と同様の作用を持つ。チエノジアゼピン系とするものもある[2]。日本で開発され、日本、イタリア、インドで医薬品である[1]。日本の先発品はデパス。多くの後発医薬品が存在する。』
なぜワタシがこの薬を飲んでいるのか、それは数年前に遡る……(遡らなくていいですよ)
詳細は面倒くさすぎて省くが高校受験、人間関係の悪化、家族関係の悪化、ついには裁判警察沙汰などまぁまぁ中学3年生にしては特大すぎる地雷を次々踏みまくっていったのである。人間はストレスに弱い。そうこうしているうちにストレスで耳が聞こえなくなり喉が苦しくなり声も出にくく、挙げ句の果てにはストレス性の気管支炎になってしまった。自分、三半規管弱すぎィ!
優しいかかりつけのお医者様からは「何かストレスのかかることあった?」と丁寧に言われたがキチガイお母様ことワタシの母親はその時色々とち狂っていたので「いいえ!!!そんなことありません!!!」とワタシより先に答えてしまった。 そう、1度目の精神科行きチャレンジ失敗である。
そうして処方された薬がデパス、半夏厚朴湯だった。(半夏厚朴湯もうつ病からくる症状の薬)
中学3年生にしてデパスに出会う女とはもう救いようもない。
こうしてだましだまし薬を飲んで挑んだ高校受験は無事合格し事なきを得るのだった。
次回、「ラリりながら学校へ行く女」
おたのしみに!