小学校、ほぼほぼゲロくそぼっち
ワタシにとって小学校は未知の世界であった。そして「学校」という空間が嫌いになった第1の原因でもあった。
小学1年生、2年生は普通の陰キャだった。家が近く保育園も一緒だったゆなちゃんという子と共に学校へ行き、クラスも一緒だったので休み時間は2人して教室の隅で絵を描いていた。本も読んだりしていた。絵に描いたような陰キャである。
小学3年生、齢9歳にして人生の最初の壁にブチ当たる。
担任に好かれなかったのだ。
そしてクラス替えも手伝い本物のぼっちと成り果てた。
よく考えて欲しい。担任に嫌われるのが中学生高校生ならまだしも小学生だ。小学生といえば「担任が全て」である。教科ごとに先生が変わるわけでもないし。高校生なら担任の教科やクラスの文系・理系によって一日中担任に会わない日もある。くどいようであるがもう一度言う。小学校の担任だ。朝の「おはようございます」から帰りの「さようなら」まで一緒にいなければならない。そんな人に嫌われたらどうする。そう、死あるのみだ。
なぜ嫌われていたのだろう。よく考えてみれば大人は「子供らしい子供」が好きだろう。毎日元気に登校し、眩しい笑顔で「おはようございます」と言い、遊ぶときは精一杯遊ぶ。給食も好き嫌いなくモリモリ食べて、先生の言うことを「絶対」と見なし疑いもせず日々を過ごす。そんな子供が好きだったのだろう。そうですよね、谷口先生………
何を隠そうワタシは「子供にしてはまぁまぁ物分かりのいい子供」であった。要するにマセガキだ。それが気に食わなかったのだろう、というのがわたしの見立てだ。 てかそう思わなきゃやってらんねぇよ。馬鹿野郎。
そうして何故か嫌われたワタシは過酷な1年間を過ごして行くこととなる。
担任の先生は「忘れ物した生徒絶対許さない主義」「給食は残すな、三角食べをしろ主義」「字を綺麗に書け、たとえ合っていても汚ければ×するからな主義」…とまぁみごとに「面倒臭い大人」であった。そしてワタシはその先生の「主義」にことごとく捕まりまくった。
ある日リコーダーを忘れたワタシは朝の音楽タイム、よくある「あさのうた」の時間に怯えながら先生にリコーダーを忘れたという報告をし、震えながら許しを請うた。なんとまぁ哀れな9才だろう。
「リコーダー無いんなら、指だけ真似してあとはドレミで歌って」
無慈悲とはこのことではないか。
そうしてワタシはあさのうたでみんなが弾く「エーデルワイス」に小さい声で「…ミーソレー、ドーソファー…ミーミミファソラー…ソー…」と地獄の様なセッションせざるを得なくなった。蛙の子は蛙というがマヌケな大人の言うことを聞く子供も相当マヌケである。
その日の午後は音楽があった。当然リコーダーを使う授業だ。ワタシは「朝忘れたって言ったし、別にいいよね」とそのまま音楽の授業を受け始めた。すると担任は思いもよらぬことを言い始めた。
「貴方、忘れ物したって言ったっけ?先生聞いてないけど(笑)」
は?
いや言ったし。朝いうたやん、忘れ物したって。お前頭悪いんか。大概にしとけよ。そう思ったワタシは友達が「お前ちゃんと忘れ物いいにいけよ!」と優しく諭してくれるなかその忠告をガン無視し担任とタイマンを張るように音楽の授業中バチバチに反抗しまくった。いやな生徒である。
当然家に電話がかかってくるのは想定済みだったので電話のコードを抜いておいた。
こうして反抗していくワタシに同級生達は「こいつイかれてやがる」と思ったのだろう、友達と呼べる人間が少なくなっていきクラス内で孤立した。面白すぎるわ。
担任の主義の中に「三角食べ」というものがあった。
ワタシは三角食べが大嫌いである。口の中でものが混ざるのがいやで仕方がない。17になった今でもお寿司をシャリとネタ分けて食べる。日本人失格、永久追放である。
そんなことを知ってか知らずか、担任は三角食べ至上主義だ。当然対立する。クラスメイトも「またやってるよ」とおもったであろう。
給食中ずっと隣に立たれた。「箸の持ち方が汚い」「おかずとご飯を一緒に食べないからご飯が余る」
うるせぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そう示す様に目の前で味噌汁の中にご飯を突っ込んで混ぜた。ねこまんま、担任が最も嫌っていた食べ方だ。
ぐっちゃぐちゃにまぜたねこまんまはまずかったが完食してやった。ざまぁみろ。
担任からもっと嫌われた。
学校が着々と嫌いになっていくワタシであった。それは周りにもばれていた様であり、ある朝校長先生に「おはよう!あっ、その顔は学校が嫌!って顔だね〜⁈!⁈!」と言われた。当時は「なんだこのすげぇババアは」と思っていたがただ単に顔に現れていただけであったのだろう。
それから「イナズマイレブン」というアニメに出会い、吹雪士郎君にガチ恋し、「ボーカロイド」というコンテンツに出会い、しかも「梨元うい」をよく聴いた。お察しである。そうしてどんどん現実から逃げる様に2次元にのめり込んで行ったワタシは学校に行くのを諦めた。
わざわざ自分を追い込む様なことをしたくない。と「ペテン師が笑う頃に」や「死にたがり」を聴いて気づいたのだ。
週1で学校に行くようになった。習い事感覚である。その当時は「保健室登校」という言葉も概念もあまりなかった。そもそもワタシの小学校に不登校児があまりいなかったのである。こればかりは環境を呪うしかない。もしタイムスリップできれば小3のワタシに「保健室っていいよね」と保健室登校をお勧めするだろう。『保健室、ベッド3つ完備。少々広めでエタノールの匂いもまた趣がある。先生も優しく美人である。星5つ。』このようなレビューと共に。
てか担任のことしか言えてない。話が逸れすぎた。ぼっちのこと語ったっけ。
…めんどくさいからまた今度でいい?う〜ん、散々な人生である。
次回、「給食時間、嫌いな女アンケート堂々1位獲得」
おたのしみに。