アダルトチルドレンとその気づき
久しぶりになりました。
なんだか生きづらい。 そんな風な思いを常に抱えながら5年以上生きてきた。
例えば他人の目が異常に気になるとか、なんでもない笑い声が「自分のことを笑っているのではないか」と思ってしまったり、憂鬱な気分のときは何も手につかなかったり、文字が頭に入ってこなかったり。そもそも、「生きづらい」という感覚も他人から気付かされた。
「え、だってアンタ生きづらそうじゃん〜笑」
あ、自分って生きづらいんだ。
ストンと腑に落ちた。
そんなある時、「アダルトチルドレン」という言葉に出会った。最初は「え、なんかいかがわしい感じ?ちょっとR入る感じ?」と思っていた。
「アダルトチルドレンって何?」そう思って調べてみると、こう書いてあった。
『アダルトチルドレン(Adult Children)とは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマを持つ」という考え方、現象、または人のことを指す。頭文字を取り、単にACともいう。』
『一般には、「親からの虐待」「アルコール依存症の親がいる家庭」「家庭問題を持つ家族の下」で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷(トラウマ)として残っている人をいう。破滅的、完璧主義、対人関係が不得意といった特徴があり、成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な影響を及ぼしている。』
『ACは自己認知の問題であり、診断的に与えられる言葉ではない。生きづらさという問題を解決するための自覚用語である。』
『虐待には、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトが代表的なものとしてあります。その他に医療ネグレクト、教育ネグレクト、経済ネグレクト、DVの目撃、親の性行為を見せる、なども虐待であると最近では言われています。』
あ、これワタシじゃん。DV、目撃しまくったわ。
それはもう、パズルの最後のピースがハマるように、さも「それがあなたの抗えない事実ですよ」と言われたかのようにストンと腑に落ちた。なんだ、そういうことだったのね、あ、そうなんだぁ〜、へぇ〜…と通学途中の電車の中で感嘆した。因みにこのあとギガ使いすぎで通信制限になった。
さらに調べて行くと、アダルトチルドレンには種類、タイプがあることがわかった。ヒーロー、スケープゴート、ロストワン、ケアテイカー、ピエロだ。
ヒーローは親の機嫌を損ねないように、期待に応えようと勉強も運動も頑張る子供で、少しの挫折で心が折れてしまうことがある。スケープゴートは生贄という意味で、機能不全家庭のなかのいわば「ゴミ箱」の役割を果たす。わざと問題行動を起こしたりする、など。ロストワンは「居ない子」。家族間で存在を消されたりしてしまう子供。ケアテイカーは献身的に機能不全家庭に代わり家事や弟妹の面倒を見るなど家族が崩壊しないよう努力する。そしてピエロ、これこそワタシではないか?と思う。
『家族の暗い雰囲気を回避するために、おどけたり、おちゃらけたり、冗談を言ったり、面白いことを言って笑わせたりして明るい雰囲気を作ろうとします。ひょうきんで明るい性格に一見すると見えますが、過度に雰囲気を読み取り、人の表情を伺い、どうすれば険悪なムードにならないかと常にビクビクしていたりします。』
う〜ん、わかりみが深いってこういうことなんだな。と心のどこかで他人事のように思った。
今は比較的平和な家庭になったが、保育園の年中〜中学3年ほどピエロだったような気がする。両親のピリピリした雰囲気を少しでも和らげようと面白いことをしたり、わざとアホなことをしたり。喧嘩した両親の仲を取り持ったり。母親はよく電話口で喧嘩をしていたので、昔の携帯の着メロは私にとってどんな音楽よりも恐ろしいし、家の内線も同様に恐ろしかった。いまでもたまに街中で耳にするときがあるが、手先が冷たくなる。目がキョロキョロ動く。冷や汗が出てくる。とっくに昔に過ぎ去ったことなのに。お腹の底が冷えて行く感覚。両親間での話題にも気をつけた。父親の前で話してはいけない事、母親の前で話してはいけない事。うっかり口が滑ったときは自分をこれでもかというくらい責めた。そんな風に、波風立てないようにいきてきた。
こんなことあってたまるか。あっちゃいかんだろ。安易な性交渉、1時の快楽に身を任せると生まれてくる子供がとんでもない迷惑を被るので家族計画は念には念を入れてくれ。恋愛は理想、結婚は現実。人生の墓場。出産は命のタイムリミットの始まり。「産む権利」はあるが「出生を拒否する権利」は赤ん坊にないからな。おねぇさんとの約束だぞ。ツイッターにも有名な言葉があるだろう。
「ボクのパパがママの中で感じた数秒間の快楽のお陰で今の不幸があります。」
こんなやつ。機能不全家族で育った子供はそんなこと思って生きてるからな。
話が逸れた。ここからはアダルトチルドレンの問題について書いていく。
アダルトチルドレンの主な問題としては、「精神障害」「極端な人間関係」「否定的な自己像」「自殺・自傷」「世代間連鎖」「生きづらさ」などである。
オイオイここはどこのビンゴ大会だよと言いたくなるほど当たっている。私自身、他人に依存するし自己否定が激しいと言われるし、自傷もする。世代間連鎖については、「私の代でこの不幸を止めなければ」という考えがあるし、生きづらさなんて常に抱えているものである。
気づいてからは思いのほかすんなり受け入れられた。むしろ「なんで今まで気づかなかったのかな」と思いすらした。
「もしかしてじぶん、虐待うけてる?」と思ったひとはためらわずに調べてみてほしい。「虐待 定義」とか「虐待 種類」とか。それと、なんとなくいきづらさを感じているひとも、「いきづらさ 原因」とかで調べてほしい。モヤモヤを抱えたまま生きるのと、そのモヤモヤの正体に気づいたあとは全く違う。今までの自分について知れるし、少しだけ自己がわかった気がする。いきづらさの解消はできないかもしれないが、自覚するのとしないのでは大違いだから。
ワタシは運良く殴られたり蹴られたり、ネグレクトされたりするタイプの虐待ではなかったが虐待は虐待である。子供がそう思ったらそうなのである。
そんなこんなでACであることに気づいたワタシはつきまとういきづらさをどうにかやりこめて今日もいきている。
次回「自傷って痛くないの?」
おたのしみに。